8月15日(火) 長崎県~島原地方の風物詩。初盆を迎える家々では故人の御霊を精霊船に乗せて西方浄土に流す為、勇壮華麗?に精霊流しを行う。『生きちょる間は辛く苦しかことばかりやったろうけん、死んだ時ぐらい精霊船は賑やかに送り出さにゃんと!』と、子供の頃祖母から聞いた事がある。
私が子供の頃には、本当に海に流していた。沖を流れる精霊船の提灯のロウソクが燃え尽きるにつれて一つ二つと消えてゆき最後には元の真っ暗な海に戻る。その光景はとても幻想的だったのを覚えている。翌朝海岸に行くと何艘もの精霊船が流れ着いていた。いつの頃からかそれがゴミ問題となり今は海に流す事はなくなったが、精霊船を担ぐ者、送る人の気持ちは今も昔も変わらない。
精霊船は藁と竹と茣蓙で作られ、切子灯篭が隙間なく飾り付けられる この地区では初盆を迎える数家族共同で精霊船を出す 精霊船の名前は極楽丸か、西方丸 今回は極楽丸
灯篭は15日まで仏間に供える
15日の朝にお墓に供え、夕方精霊船に
四月に亡くなった岳父(義父)の御霊をこの精霊船に乗せて西方浄土の極楽へと流す
幻想的な事この上なし
故人を思う人々の気持ちが切子灯篭一つ一つに込められている
ナマ~イド、ナマ~イド(南無阿弥陀仏)の掛け声と共に精霊船は町内を練り歩き流し場の公園へと向かう
練り歩く足元でけたたましい爆竹の音が辺りへ鳴り響く
これだけの数の切子灯篭を載せた精霊船はかなり重たい
時にはぐるぐると提灯が千切れんばかりに舞う
公園には二艘の精霊船が到着していた
暫く休憩 消えたロウソクに火をつけ線香を供える
担ぎ手達は故人への思いを込めて最後の力を振り絞って激しく舞う
提灯は千切れそう
そして・・・静かに海へと向かう
故人、送る者全ての思いをのせて静かに海へ
幻想的に海に浮かぶ精霊船
昔はこのまま西方浄土へ流していた
以前、私も父と祖母の精霊船を造った事がある。盆の入りの13日からの3日間をかけてそれまでに見聞した知識をフル動員し、設計図も何もない精霊船を母の手伝いを受けながら創り上げていく。仕事の都合で兄、叔父、従兄が応援が来るのは15日になってからで、アドバイスを受けながら補強する。まず浮くこと、激しい動きに耐える為、頑丈に造らなければならない。それでも時折、バキッ!ボキッ!ミシ!ミシッ!と精霊船は悲鳴をあげたものだ。
これまでに祖母、父、母、兄、叔父の精霊船を担いだ。その時の気持ちは・・・祭りで神輿を担ぐ?のと似たような?但しそれほど神聖なものではないかもしれないが・・・
『生きちょる間は辛く苦しかことばかりやったろうけん、死んだ時ぐらい精霊船は賑やかに送り出さにゃんと!』の気持ちで賑やかに故人を送りたい。最初は静かに担ごう!と思っていても、担ぎ手みんなが次第にエスカレートしてとり止めのないお祭り騒ぎになってくる。それを楽しんでいたような?気がしないでもない。酔いと、集団心理に任せてアドレナリン噴き出しまくりの魂の叫び!のトランンス状態?だったのかな?
でも、これが本当の精霊船であり、精霊流しの真の姿だとの思いは今も昔も変わらない。